心的外傷(5)

記事の要点

  • ジュデス・ハーマン著
    「真実と修復」第1部までの概要
  • 本書は「暴力を生き延びた人にとって正義とは何か」を問いかける
  • トラウマは暴力そのものだけでなく、その後の沈黙や無関心によっても深められる
  • 回復は個人だけの課題ではなく、コミュニティや社会のあり方と深く結びついている
  • 専制は暴力と恥辱によって維持され、多くの場合、傍観者の黙認によって支えられる
  • ハーマンは家父長制を現代に残る専制の一つとして捉え、
    性暴力や家庭内暴力を権力支配の問題として論じる
  • 正義とは単なる処罰ではなく、傷ついた人の尊厳と関係性を修復することである

*【】内の小見出しは、著者がつけたものです。

ジュディス・ハーマン『真実と修復』 第1部までの概要

【イントロダクション】

ジュディス・ハーマンは、心的外傷(トラウマ)からの回復について、これまで「安全の確立」「想起と服喪」「再結合」という3段階の回復モデルを示してきました。しかし本書では、その先にもうひとつ重要な段階があるのではないかと問いかけます。

それが「正義」です。

人は暴力や搾取によって傷つくだけではありません。その後に周囲の人が何をしたか、あるいは何をしなかったかによって、傷はさらに深くなることがあります。

トラウマは個人の内面だけの問題ではなく、社会やコミュニティとの関係の中で生じるものです。だからこそ回復もまた、個人的な努力だけでは完結しません。傷つけられた人が再び共同体の一員として迎えられ、不正義が修復されることが必要なのです。

本書の中心的な問いは、「暴力を生き延びた人にとって、正義とは何か」です。

印象的なのは、性暴力を経験したサラという女性の言葉です。彼女が最も深く傷ついたのは暴力そのものだけではなく、その出来事を取り巻く沈黙でした。

被害について語られないこと。見て見ぬふりが続くこと。
その静けさが被害者を孤立させ、加害者を守り、周囲の人々が傍観者でいることを可能にしてしまうこと。

ハーマンは、こうした「沈黙の構造」に目を向けます。

第1章 専制による秩序

本書でハーマンは、正義の反対にあるものとして「専制」を取り上げます。

専制とは、一部の人が権力を握り、他者を支配し従属させる仕組みです。
そこでは暴力が権力を示す手段として使われます。

興味深いのは、ハーマンが政治的拷問と家庭内暴力を同じ構造として捉えていることです。
どちらも相手の意思をくじき、支配し、恥辱を与えることを目的としています。

このとき被害者は単に傷つくだけではありません。
「自分には価値がない」
「自分が悪いのではないか」
という感覚を抱き、自分自身を責めるようになります。

さらに専制は、直接の被害者だけでなく周囲にも影響を及ぼします。
人々は他人の苦しみに無関心になり、「自分さえ無事ならいい」と考えるようになるのです。

しかしハーマンは、専制は大勢の人々の黙認によって支えられていると指摘します。
だからこそ、傍観者だった人が被害者の側に立つとき、専制は崩れ始めるのだと言います。

第2章 平等による秩序

専制に対置されるのが、平等と公平性(フェアネス)に基づく秩序です。

ハーマンによれば、正義の基盤となるのは「公平に扱われること」です。
しかし現実の司法制度は、必ずしも被害者にとって公平とは言えません。

被害者はしばしば、
「感情的だ」「報復したいだけだ」「信用できない」
と見なされます。

しかしハーマンは、被害者の怒りそのものが問題なのではなく、
公平な正義への道が閉ざされることで怒りが行き場を失っているのだと考えます。

本当に必要なのは、被害者を排除することではなく、
被害者が尊厳を取り戻し、コミュニティに再び参加できるような仕組みです。

正義とは単に加害者を罰することではありません。
壊されたものを修復し、恥辱によって傷ついた人が
再び人とのつながりを回復することでもあるのです。

第3章 家父長制

ハーマンは、現代社会において最も古く、最も根深い専制の形として家父長制を挙げます。

男性による支配は、他の専制と同様に、最終的には暴力によって維持されています。

レイプは単なる性的行為ではなく、権力を誇示する行為です。
また、性的人身売買や職場での性的ハラスメント、
家庭内暴力では、暴力が繰り返されることで支配関係そのものが固定されていきます。

とりわけ家庭内暴力は複雑です。
加害者は「愛している」と言いながら支配し、
経済的な依存関係や子どもの存在が被害者を縛ります。
こうして人は、自分の価値観や大切な人との関係さえ
裏切らざるを得ない状況へ追い込まれていきます。

さらに問題なのは、こうした暴力がしばしば見えなくされ、正当化されてしまうことです。

性暴力の被害者は恥や恐怖のために声を上げにくく、
勇気を出して訴えても十分に取り合ってもらえないことがあります。
社会には今なお、「被害者にも責任があったのではないか」という偏見が残っています。

ハーマンは、性暴力が免責され続ける背景には、
被害者・加害者・傍観者の三者関係があると指摘します。
多くの場合、傍観者が沈黙することで、結果的に加害者を支える側に回ってしまうのです。

だからこそ必要なのは、被害者を周辺に追いやる司法ではなく、生き延びた人を中心に据えた司法です。

そして失われた家族やコミュニティとのつながりを修復することこそが、
本当の意味での正義につながるのだとハーマンは語っています。

ここまで読んで

第1部でハーマンが繰り返し問いかけているのは、
「暴力を行ったのは誰か」だけではありません。

その暴力を見ていた人は何をしたのか。
社会は何を見ようとしなかったのか。

トラウマの回復は個人の問題として語られがちですが、
本書はそれを社会やコミュニティ全体の問題として捉え直そうとしています。

傷ついた人にとっての正義とは、単なる処罰ではなく、
真実が語られ、尊厳が回復され、再び人とのつながりの中に迎え入れられることなのかもしれません。

読んでいて印象に残ったのは、「沈黙」についての指摘です。
私たちは悪意があって見ないわけではないこともあります。
けれど、気づかずに見ないでいること、気づかずに当たり前になっていることが、
結果として傷ついた人を孤立させ、不正義を支える側に回ってしまうことがあるのかもしれません。

この記事を書いた人

福嶋裕子 臨床心理士・公認心理師(高円寺心理相談室アオイトリ)